私が幼稚園のときでした
母は東京の病院へ半年間入院し、
5才の私と2才の弟の世話は 父ひとりの肩にかかることになりました
楽しい楽しい幼稚園でしたが、ただ一つニガテだったのは お迎えの時間。
仕事の3時休みを利用して迎えに来る父を 私は園長室の窓から眺めて待ちました
1日の仕事を終え、風に揺れるブランコ
銀色の斜面に、空を映す滑り台
お母さんに手を引かれ園を後にする友達…
園長先生は、いつも後ろから、こう声をかけてくれました
「あなたのお父さんは偉い人 うんと素敵な人なんだよね」
父の職業は大工です
ゴツゴツした固くて大きな手でのお弁当作りは さぞかし大変だったことでしょう
冷凍食品や電子レンジなど、今ほど普及していなかったので
小さなお弁当箱に詰めてくれるのは
のり弁に真っ赤なウインナー・目玉焼き・こぶの佃煮・
あとは朝食のおかずの一部をちょこっと
毎日こればかりでした
父なりに気を使っているのでしょう
のり弁は2段にしてくれるのですが、その上に半熟状態の目玉焼きを乗せるものだから、
お昼にフタを開けると…つぶれてるんです(笑)
いつも「うへぇ~」と思うのだけど
毎晩、父が空のお弁当箱を洗いながら、
「今日はどうだった?つぶれてなかった?」と聞くので
「うん、大丈夫だった!」と、答えることにしていました。
たったの5歳でも、本当のことは言ってはいけないと なんだか強く思ったから
半年して母が戻ってきました
料理上手の母は、私のために かわいくておいしいお弁当を毎日作ってくれました
けれど、今わが子のお弁当を作るとき いつも頭をよぎるのは
お弁当箱のフタの裏についているつぶれた黄身と ソース味の真っ赤なウインナーなのです
大工でありながら不器用な指で 私のお弁当を作っていたあの頃の父は
今ちょうど私たち夫婦の歳でした
「ありがとう」を言おう。
「本当は、目玉焼きは毎日つぶれていた」と話して一緒に笑おう。
そして、
「すごく、すごく、おいしかった」ってことをちゃんと伝えよう…
『父の日』がある来週末、実家へ帰ることにしました
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